「好き」や「嫌い」がわかると「生きる実感が沸く」

四男坊として生まれました。

子どもの頃は、下着以外はほとんどがお下がりのもの。

「望む」「望まない」は別として勝手に上から降ってくるように自動的に用意されてました。

それと、僕は小さい頃から兄を見て育ち、その兄から家庭内ルールを見て

どうやったら「怒られないか。」そして、どうやったら「褒められるか。」

家族のルールを見て育ちました。

「安全に生きる」ために、僕がしたことは自分の「好き」と「嫌い」の気持ちを閉じ込めてしまうこと。

例えば、小さい頃を振り返るとこんなエピソードが・・・

・友達の家に遊び行くのも言い出せなかった

・小学校の時にスポーツ少年団に誘われたけど、誰にも話せなかった。

・進路も家族の意思を尊重した

自分でも改めて振り返るとビックリ。

自分のホントの気持ちを我慢して、周囲に気に掛けとったんだわ。

 

そんな環境で育ち自分と対話せずに、進学と就職していました。

 

そんな子がなにを血迷ったか(笑)

ただ、職場に馴染めずすこぶる健康な体だったのに、

ストレスから1年に4回病院に行くことになったり、

またもや周囲に流され、

なぜか簡単に成功できると、とんだ勘違いからサラリーマンを辞めて独立します。

 

当たり前のようにうまくいきません。

その結果、見事に自信も、お金も、プライドも、ほとんど「ない」状態になりました。

 

そのときにはじめて、自分と向き合うことになりましたね。

「本当は何がしたいの?」て突き付けられたんです。

 

ここからが大変でした。

まず「好き」「嫌い」がわからない。

それと、自分の気持ちに素直になるってことは大雑把に言うと

「眠たいときに寝る。」「食べたいときに食べる」「やりたいことを優先させる。」

これは、一般的には今までの正反対のこと。

それゃ「不安」や「恐怖」が襲ってきます。

 

それでも、僕が前に進めたのは傍にいて生き方を教えてくれた人達。

僕の周りには「なんかしらんけど幸せ」って人が沢山いて

そんな人達って自分の気持ちに素直。

そんな人達を見るたびに自分なりに少しずつ向き合っていきました。

 

最初は、「仕事を午前中で終わる」や「食べたいモノを食べたいときに食べる」などの

小さいことから初めていきました。

 

そうして、小さいことを積み重ねていくとだんだんと

自分のなかに、確かな「感情」が沸いてきます。

自分で言うのも変ですが鈍感な僕が、

「ハンバーグを食べてうまい」「ヨガして気持ちいい」「太陽を見て感動する」

ようになったりするんです。

 

そうした小さな幸せを積み重ねていくと周囲からも表情が変わったといわれ

ココロとカラダがすこぶる快調になっていく実感がある。

 

ほんと、ちりも積もれば山となる。

小さな幸せをこれからも大切にしていこう。

 

「生きるって素晴らしい!!!!!!!!!!」

 

それでは、今宵はここまで。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

 

☆フルトミタツヤは人生最後の日に「あのとき〇〇しとけばよかった。」っていうプロフィールだったよ

・周りからみたらいわゆるエリート街道に乗り、羨まれがちな人生だけれども閉塞感がある。

・このまま結婚して子供できて定年退職して、無難に死んでいくのが想像できて焦る。

・やりたくない仕事を辞めて自由に生きてみたい。

・本当にやりたいことをしている人生がしたい。

 

いきなりですが、こんなことを思うてる人は沢山いてると思います。

僕もそうでした(今も悩みはでてきますけどね。)。周りにも同じこと言うてる人を沢山みています。

 

これは、誰しも人生に1回は、ふとした瞬間に、

「このままで大丈夫なん?」

「あれ?オレの想像してた人生ってこんなにつまらないもの??」

みたいな考えが脳裏をよぎったりしていると思います。

 

僕も何回もありました。そのなかで、本当に向き合った「ふと瞬間」は、独立して、自信も、お金も、プライドも、ほとんど「ない」状態でした。

 

僕は、振り返ると独立するまでは平凡な人生だと思います。

・公務員の家庭に生まれて、地元の学校に高校まで進学。

・兄がいる関西にとりあえず進学。そして、サッカー関係の仕事につきたくて新潟県へ。途中で方向転換して理学療法士になるべく地元に帰り、長崎県に就職。

・東北大震災にボランティアで参加した経験からヨガと出会い半年後に資格取得。その直後、地元に帰る。

 

振り返るとここまで、大きな挫折やトラブルもない本当に平凡な日々でした。もちろんそれはそれで有り難いですが、例えるならベルトコンベアに流れている生き方だったんです。

 

ところが、突然にサラリーマンを辞めます。それも陳腐な理由ですわ。それは、職場に馴染めずすこぶる健康な体だったのに、ストレスから1年に4回病院に行くことになったり、周囲に流され、なぜか簡単に成功できると、とんだ勘違いから独立します。その結果は、当然のように大きな壁や躓く毎日。

・小手先のやり方(安直なうたい文句のセミナーでやっている内容)をやっても長続きしない。

・公共料金の滞納して電気、水道が止まったり、税金の支払い電話がかかってくる。

・救いを求めるようにしてスピリチュアルのうわべっつらのいいとこだけみて、さらにどん底へ。(そのままで大丈夫を妄信して、大丈夫じゃなくなった。)

・意識消失と気づいてたら防波堤に立っていたが、勇気がなくて無事生還。

・人前で泣く気もないのに涙を流したり、胃痛に悩む毎日

こんな経験をしたわけです。

僕は、見事に自信も、お金も、プライドも、ほとんど「ない」状態になりました。

 

不思議なもので、いきつくとこまでいくと抵抗する気力すら失います。

それに、このまま同じことをしてもどうしようもないって流石に気づきましたね。

 

僕の場合は、そのときにはじめて、自分と向き合うことになりました。

なんていうか「本当は何がしたいの?」て突き付けられたんです。

鈍感な僕みたいのには、ショック療法が必要だったのでしょう。

そりゃ、「バチンッ」とやられました。

 

そこで、自己啓発やスピリチュアルな本を読み漁っあたり、セミナーにいくようになりました。

最初は意味不明で、「はっ?トイレ磨いても金が増えないじゃん。」、「ありがとうって、言うけどイイことないじゃん。」こんな状態でした。

それでも、運が良かったのか、それを日常で実践している人や幸せに生きるヒントを教えてくれる人との出会う機会に恵まれたことで少しづつ好転していきました。

(自他共に認めるご縁に恵まれています。本当にありがとうございます!!!!!!!!)

 

それで、好転していくけれども、そんなに簡単に劇的に変わるわけでもない。そりゃ、まだまだ人生がクソつまんなくて自己価値がクソみたいな状態でした。

しかし、そんな時でも「僕の話を面白いね!」と言ってくれたり、「最近、見ないけど元気にしている?」っていう人が数人いてくれた。僕にとっちゃそれがたまらなくうれしくて、「あれ?クソみたいって思うてるのは自分だけか?じゃ、それをやめてみたらどうなんの。」って思えてきた。つまりは、自分次第でこの世界は面白くも、クソみたいにもできんじゃない。誰でも視点を変えれば良くも、悪くもできるって。これに段々と気づいていきました。

 

ここで綴ることは、僕が出会った人たちが教えてくれた人生がおもしろくなるヒントであり、それを実体験を織り交ぜながら書いていこうと思います。

それで、せっかくなんで、もし、これをたまたま読んだ人のなかに、「おもろいね」って言ってくれる人がいたら最高に幸せだ。そんな人に心を込めて届けることで循環を起こしていきたいと思うのであります。

 

ちなみにですが、僕はさすがに誰も見てくれんやったら、正直淋しいです。たまらなく、淋しいです。クソ淋しいです。危険じゃないから可愛がってください。コメントとういうエサをください。そうしたら、死ぬほど喜びます。コメント返します。

 

それでは、今宵はここまで。

最後まで読んで頂きありがとうございました。